皆さんご存知の通り、当社は太宰府市に拠点を置いています。
太宰府市といえば、新元号「令和」ゆかりの地として、改めて注目が集まっています。
今回は沸きに沸く令和ブームにあやかり、フォロといっしょに太宰府の史跡と令和ゆかりの地を巡る旅に出かけました。
ちなみに、大宰府と太宰府、2種類の漢字を意図的に使い分けています。
(皆さんの文字変換でも、両方出てくると思います。)
これは太宰府市のウェブサイトに解説があるので、気になる方はそちらもご覧ください。
旅立ち
新元号発表からちょうど1週間後の4月8日、フォロといっしょに出かけました。
川沿いを歩く
鷺田川沿いを歩きます。ここから県道112号線に出ます。
菅原道真の通勤路
学問の神様と言われる菅原道真が、自宅から日々大宰府政庁に通勤する際に歩いたと言われる道があります。
そうと知らなければ見過ごしてしまうような小道になっていますが、いまもなおその足跡をたどることができるようになっています。
飛梅(原木)
菅原道真が左遷され、太宰府配流の際、都の屋敷内の庭木のうち、梅の木・桜の木・松の木との別れを特に惜しみました。そのとき、語りかけるように詠んだのが、次の歌です。
東風(こち)ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ
伝説によれば、道真を慕う庭木たちのうち、桜は悲しみのあまり枯れてしまい、梅と松は道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛びました。
ところが松は途中で力尽きて、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの丘に降り立ち、この地に根を下ろしました。
一方、残った梅だけは、見事その日一夜のうちに主人の暮らす太宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったといわれています。
これを飛梅伝説と言い、その原木がいまも残されています。
大宰府政庁跡
今回の旅のゴール地点である大宰府政庁跡に着きました。ここが令和ゆかりの一丁目一番地、令和ブームの発信地です。
大宰府展示館
昭和55年開館、(公財)古都大宰府保存協会が事務局を置き、広く太宰府史跡の整備地の維持管理や広報普及、史跡のガイドなどが行われています。ここには令和のゆかりとなった「梅花の宴」の模様を再現したジオラマが展示されています。ジオラマは博多人形で作られているんですって!
坂本八幡宮
政庁跡の北(正門から徒歩10分弱)に坂本八幡宮があります。ここは当時大宰帥の地位にあった大伴旅人の邸宅(諸説あり)で、まさにここで梅花の宴が行われたと言われています。
また、令和の文章は、梅花の宴を始めるときに大伴旅人や山上憶良が述べた言葉だと言われています。
教科書や資料でしか目にすることのない1300年前の人たちも、私たちと同じ様に生きて、涼しい夜風に当たり、お花見をして、歌を歌ったわけですね。
いかがでしたでしょうか。令和ゆかりの地をフォロといっしょに巡ってきました。
まだまだ言い慣れない令和ですが、個人的に新しいことが始まりそうなワクワクした響きを感じています。
ご覧の皆さんもお出かけになってみてはいかがでしょう。
また、お近くにお立ち寄りの際には、是非当社にもお気軽にお立ち寄りくださいね!
土日は基本的に閉まってますが、併設のファブラボ太宰府は土曜日だけ開いてます。
ファブラボ太宰府の情報はコチラ
また、今回のルートをGoogleMapにまとめてみました。
こちらのURLをクリックすると、パソコンならGoogmeMapのページが、スマートフォンだとGoogleMapアプリが開きます。
実際に歩くもよし、ストリートビューで見るもよし、令和元年を前に、太宰府を堪能してみてくださいね。
https://goo.gl/maps/1K9AK2duDG32